大判例

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東京地方裁判所 昭和30年(行)75号 判決 1957年2月14日

原告 国

被告 中央労働委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

原告指定代理人は、「被告委員会が中労委昭和二十九年不再第四十三号不当労働行為再審査申立事件について、昭和三十年六月二十九日附でなした命令を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

第二、請求の原因

一、訴外大倉輝夫及び塩崎広は、原告に雇用されていた駐留軍労務者であつて、大倉は昭和二十五年三月から尼崎市所在のK、Q、M、D(駐留軍神戸補給廠倉庫部隊)に勤務し、その後昭和二十八年五月から尼崎エリヤナイン・サーベランス部隊に転属し、同所において荷扱夫として、塩崎は、昭和二十五年四月から同補給廠ストックコントロールディヴィジョンにおいてオフイス・マネージャー(事務管理人)として勤務していたがいずれも昭和二十八年十一月十日軍から「保安上の理由」により解雇された。

そこで、右両名及びその所属する全駐留軍労働組合兵庫地区本部は、昭和二十九年七月十五日兵庫県知事を被申立人とし、右解雇は不当労働行為であるとして、兵庫県地方労働委員会に対し救済の申立をしたところ、同委員会は、同年十一月二十二日附をもつて、「被申立人は、昭和二十八年十一月十日申立人塩崎広、同大倉輝夫に対してなした解雇通知を取消し、原職に復帰せしめ、且つ昭和二十八年十一月十一日から原職復帰に至るまでの間に、右申立人等が受ける筈であつた給与相当額を右申立人等にそれぞれ支給せよ。」との救済命令を発した。これに対し、同県知事は、昭和二十九年十二月二十五日被告委員会に対し、右救済命令に対する再審査の申立をしたところ、被告委員会は、昭和三十年六月二十九日附をもつて別紙命令書写のような再審査の申立を棄却する旨の命令を発し、その命令書写は、同年七月十三日同県知事あて送達された。

二、しかしながら、被告委員会の右再審査申立棄却命令は、右解雇が左に述べるとおり不当労働行為でないのにかかわらずこれを不当労働行為であると認定した違法があるから、これが取消を求める。

(一)  本件解雇は、保安上の理由によるものであつて、大倉及び塩崎両名の組合活動と解雇との間には何らの因果関係もない。

すなわち、本件解雇の理由は、右両名は日米安全保障条約に基き駐留するアメリカ合衆国軍隊の基地において、引続き就労せしめることは、同軍隊にとつて危険であり、かつ脅威となるからに外ならない。もつとも、保安上の理由に該当する具体的事実については、駐留軍の高度の機密保持の必要上軍から日本政府に明示されていないのであるが、両名に対する解雇が保安上の理由によるものであつて、不当労働行為でないことについては、日本政府もこれを確信する。けだし、軍において労務者を保安上の理由で解雇する場合は、極東軍司令部内の保安委員会(思想問題について専門的知識を有する高級将校七名ないし十名をもつて構成する。)において、軍において蒐集した資料に基いて慎重に検討し、諸資料が完全に一致し、委員会の構成員のうち一名の反対者もなく決定されるときに限られるのであつて、極東軍司令官は、この決定に基き、当該労務者の所属する基地指揮官に対し、該労務者を基地外に排除すべき旨の命令を発するのである。そして、同委員会に提出される資料は、保安上のものに限られ、組合活動に関する資料は提出されず、従つて、解雇の決定について労務者の組合活動が考慮される余地はないのである。

(二)  本件命令が、大倉及び塩崎の組合活動または不当労働行為を推認せしめる事実として認定した事実の真相は次のとおりであり、これをもつて軍の不当労働行為意思を推認することはできない。

(イ) 大倉及び塩崎両名の共通事項

本件命令は、右両名の組織活動により組合員が増加したと認定しているが、当時の社会情勢上、組合員増加は、全般的傾向であり、特に両名の職場ないし組合のみの問題ではないのであるから、これを両名の活発な組合活動の結果と認めるのは失当である。

(ロ) 大倉に関する事項

(1) 第一突堤支部における賃金調整の問題について

この件については、恐らく大倉が兵庫県地方労働委員会の審問において証言している「支部組合員の約半数に近いものについて、労務士官に交渉の結果一人約二千円の昇給目的を達した。」との点をそのまま事実として認定したものと思われるが、右の証言は全く虚偽である。すなわち、当時西宮市所在の津門ショップという職場から神戸市所在の第一突堤の職場に配置転換となつた二十二名の荷扱夫について、葺合渉外労務管理事務所において配置転換に伴う作業内容の変更に応じ、一人平均九百八十円の調整昇給を行つたことはあるが、これは同人の組合活動と少しも関係のないことである。

(2) 全国統一ストライキ実施後軍の大倉に対する処遇が一変した事例として認定した電話応待についての責任将校の難詰または重労働への配転等について

元来、勤務時間中は、専ら軍の指揮監督に服すべきものであつて、組合活動等をなすべきものではないから、もし組合活動やその他勤務以外のことをすれば、何人であろうと監督者から注意を受けるのは当然なことでありことさらに同人に対してだけ注意を与えたものでない。また、同人は、荷扱夫であつて荷扱夫は事務員に比してはるかに高額の給与を支給されているのであるが、従来事務作業に従事していたため、チエス准尉は、職場責任将校として着任後、この不合理に着眼して、これを是正すべく、同人に対し荷扱夫本来の仕事に就くように指示したのであつて、職責上当然の措置である。

(ハ) 塩崎に関する事項

(1) 事務系職員の賃金調整の問題について

当時葺合渉外労務管理事務所が二、三名の女子職員について若干の調整昇給を行つたことはあるが、これはK、Q、M、D人事課の要求に基いて行われたもので、同人の組合活動の結果ではない。

(2) IBMスクションにおける勤務交替制変更問題について当時軍が同職場における作業量の臨時的増嵩を予測し、三交替制を二交替制に変更する計画を検討していたのであるが、前記労務管理事務所が塩崎を含めた組合代表者を招致してこの件に関し、意見を聴取し、またKQMD人事課と協議する際、同人の立会を求めたことはあるが、その際同人が右計画に反対する態度を示していた事実はない。またその後当初予測された程の作業量の増嵩がなかつたので、二交替制に変更する必要がなくなり右変更計画を取りやめるに至つたものであつて、同人等の反対によるものではない。

(3) 全国統一ストライキ実施後軍の同人に対する処遇が一変した事例として認定した事務管理人たる職務の交替または早退不許可等について

同人と同一職場に勤務していた通訳玉木信一が塩崎に比して人物優秀にして語学堪能であつたため、当時同人の職場に新しく着任したマーシャル准尉が玉木の方を重用するのは至極当然のことであり、これがため特に塩崎を事務員扱いにしたということはない。また早退不許可の問題については、当日は土曜日に当り、週間定例行事として前日に引続き在庫品の書類調査に関する事務処理で多忙であつたのみならず、当日の午前中に女子職員二名が早退し、人員不足であり、塩崎は右の事情を十分承知しまた、早退理由とする妹の結婚式の如きは前以つて予定されていることであるのにかからず、当日の午後になつて突然早退の許可を求めたので、これを不許可としたものである。そのような同人の態度は、管理人として責任ある配置にある者としては非常識といわざるを得ないから、これを許可されなかつたことはやむを得ないことである。

以上のとおり、大倉及び塩崎両名が特に軍を刺戟する程の目立つた組合活動をしたということは認められないし、また全国統一ストライキ後、特に両名に対する処遇が一変したというような事実も認められない。かりに、本件解雇が本件命令の認定する如く、軍が昭和二十八年八月十一日の尼崎地区総決起大会及び同月十二日及び十三日の全国統一ストライキにおける両名の組合活動を嫌悪してなされたものであるならば、両名は右ストライキ直後解雇された筈であるし、また昭和二十七年九月以降尼崎地区MHE支部長として活発な組合活動を推進し、右全国統一ストライキ当時、屁崎地区副闘争委員長として両名と同様ストライキを指導し、また右総決起大会においても指導者として参加した上田道衛も、両名と同様に当然解雇される筈である。しかるに、上田はその後も解雇されることなく、依然として尼崎支部の執行委員長として、また全兵庫地区本部の副執行委員長として活発な組合活動を行つている事実は、本件解雇が不当労働行為でないことを雄弁に物語つているのである。

(三)  かりに保安上の理由に該当する具体的事実が存しないとしても、本件解雇は、大倉及び塩崎両名に保安上の理由に該当する事実があると誤認してなされた解雇であつて、同人等の組合活動を理由とするものではないから、不当労働行為ではない。すなわち、同人等には、次に述べるとおり、同人等が共産党員またはその同調者であり従つて保安上の理由に該当する事実があると誤信するに足る相当の理由が存するのである。

(イ) 全駐留軍労働組合は、昭和二十八年八月十二日及び同月十三日の両日全国統一ストライキを敢行したのであるが、これに先立つて、同組合傘下の尼崎地区内の五支部は連合して、同月十一日午後五時半頃から四、五十分間軍基地の正門に近い尼崎市市民グランドにおいて尼崎地区総決起大会を開いた。その際大倉は、尼崎地区闘争委員長として、また塩崎は、同地区副闘争委員長として、大会を主催した。

そしてその会場には、組合員外共同闘争の他の組合員も加えて約千名が参集したのであるが、その最中、先に保安上の理由で解雇された元駐留軍労務者玉村某外一名の共産党員が演壇のあつたトラックに飛び乗り、数分間に亘りマイクを占領して反米演説をするという事態が発生した。当時全駐労兵庫地区本部はスト実施については極力共産党の介入排除につとめるよう各地区に指示し、尼崎地区以外の地区においては、その実効が期せられていたのである。しかるに、ひとり尼崎地区の総決起大会においてのみ右のような事態が惹起されたことを考えれば、当時の国際情勢上、共産主義活動に対し特に神経質的に警戒を怠らなかつた駐留軍としては、後記(ロ)の如き同人等の疑わしい身分関係とも照し合せて、或いは両名は共産党員ないしその同調者であつて、責任者たる両名が前記大会に玉村等共産党員を招請したか、若しくは同人等の反米演説を黙認したものではないかとの疑念を持つたことは相当の理由があるというべきである。

(ロ) 大倉は、駐留軍労務者として雇用されるについて軍に提出した身上明細書に学歴、職歴等を詐称していた事実があり、また同人の前勤務先の退職事由等についても種々疑わしい点が認められたので、前記ストライキ直後の八月十四日頃軍から第三国人身上明細書の再提出を求められたことがある。また、塩崎広については、当時尼崎市内に、同人と同一発音の塩崎博という有力な共産党員が居住し、日本共産党尼崎市委員会の責任者として活発に共産主義運動を実施していたのである。

第三、被告の答弁

一、請求原因に対する答弁

第一項の事実は認める。

第二項の(一)及び(二)の(イ)の事実は否認する。

第二項の(二)の(ロ)の事実中、大倉が兵庫県地方労働委員会において、原告主張のとおり証言していること及び荷扱夫と事務員の給与に差のあることは認める。津門ショップから第一突堤に配転になつた二十二名の荷扱夫について原告主張のような昇給のあつたことは知らない。その余の事実は否認する。

第二項の(二)の(ハ)の事実中原告主張の日塩崎の職場で女子職員二名が早退したことは認めるが、その余の事実は否認する。

第二項の(二)の後段の事実中原告主張の日に原告主張のような総決起大会及びストライキが行われたこと、上田道衛が原告主張のような組合活動を行い解雇されないことは認めるがその余の事実は否認する。

第二項の(三)の事実中、尼崎地区以外の地区において共産党介入排除の指令の実効があつたこと、尼崎地区総決起大会においてのみ原告主張のような事態が発生したこと、及び本件解雇が大倉及び塩崎両名が共産党員またはその同調者と誤認され、その結果保安上の理由あるものとしてなされたことを否認する。駐留軍が共産主義活動に対し特に神経質的に警戒を怠らなかつたことは知らない。その余の事実は認める。

二、被告の主張

本件解雇は、別紙命令書写理由第三及び第四項記載のとおり、大倉及び塩崎両名の従前の組合活動及び昭和二十八年八月十一日における尼崎地区総決起大会を主催し、翌十二日及び十三日の両日に亘つて、同地区のストライキを指導した組合活動を理由としてなされたものであるから、不当労働行為であり、従つて本件命令には、原告主張のような違法はない。

第四、証拠<省略>

理由

請求原因第一項記載の事実は当事者間に争ない。

原告は、軍が昭和二十八年十一月十日大倉輝夫及び塩崎広に対しなした解雇は、保安上の理由によるものであり、これを不当労働行為であると認定した本件命令は事実の認定を誤つた違法があると主張し、被告は、右解雇は不当労働行為であると主張する。よつて、先ず、同人等の組合活動について、次いで原告主張の解雇理由について検討し、これを綜合して右解雇が不当労働行為であるかどうかを判断する。

一、大倉及び塩崎の組合活動

(1)  大倉の組合経歴及び組織活動

成立に争ない乙第二号証の六、十、十八及び二十、乙第五号証の五(甲号各証及び乙号各証は検乙第一及び第二号証を除き全部成立に争ないから、以下その旨の表示を省略する。)並びに証人大倉輝夫の証言によれば、大倉は、昭和二十六年一月全駐留軍労働組合兵庫地区本部(以下全駐留軍労働組合を全駐労と、全駐留軍労働組合兵庫地区本部を全兵駐と略称する。)の組合員となり、同年十一月全兵駐第一突堤支部書記長、昭和二十七年三月同支部長、同年六月全兵駐執行委員及び書記局教育文化部長、同年九月から本件解雇に至るまで全兵駐副執行委員長等を歴任し、昭和二十八年六月以降は全兵駐尼崎サーベランス支部副支部長を兼任したこと、また同人が同年五月サーベランス部隊に転勤当時は、同支部の組合活動は頓に沈滞しており、組合員数は二、三十名に過ぎなかつたが同人の転入を契機として活発な組合活動への気運が動き、役員改選をして同人が前記のとおり、副支部長に選出されたこと、その後労務者の増加に伴い、同人は、組合未加入者の集合を求め、これに対し組合の必要を力説する等して、組合加入を熱心に勧誘した結果、組合員が急激に増加し、同年八月のストライキ当時は、約百八十名に達したこと、右のような組織活動は、時にサーベランス部隊責任将校チエス准尉に目撃されたことが認められる。

(2)  塩崎の組合経歴及び組織活動

乙第二号証の十五、十六及び四十、乙第三号証の四及び六乙第五号証の四並びに証人塩崎広の証言によれば、塩崎は、昭和二十七年十二月全兵駐の組合員となり、昭和二十八年一月から解雇に至るまで全兵駐ヘッドクオーター支部長及び全兵駐執行委員であつたこと、同人が勤務していたヘッドクオーターは事務系統の職場であるため、元来組合意識は極めて低調であり、同人が全兵駐に加入した当時、同職場における全兵駐組合員は数名に過ぎなかつたこと、同人は組合員となるや、休憩時間を利用して各部課を廻り、労務者に対し、口頭または文書の配付により組合の目的または団結の必要等を力説し、逐次組合員を獲得し、昭和二十八年一月当時には組合員約六十名に達したので、職場単位の支部組合として前記ヘッドクオーター支部を結成し、その支部長に選出されその後も同様組織の拡大に努めた結果、本件解雇当時は組合員百六十余名に達したこと及び右の組織活動は、時に軍の人事課係員に目撃されていたことが認められる。

(3)  大倉の第一突堤支部における賃金調整の問題について

証人前川会三、同細田正夫及び同大倉輝夫の各証言を綜合すれば、大倉が第一突堤支部書記長に就任した頃から、同支部は組合員の賃金調整のための活動を意図し、その旨全兵駐に報告すると共に、同人は右書記長または同支部委員長在任中を通じ、再三に亘り、葺合渉外労務管理事務所(昭和二十八年九月末日甲子園渉外労務管理事務所と名称変更、以下労管と略称する。)に対し、労務者の給与の不均衡を是正されたい旨申し出たこと、これに対し労管は、必要資料の提出を要求したので、同支部は、各職場から選出された委員により各労務者の勤続年数及び賃金額を調査し、また勤務成績を評定する等して資料を整備したこと、右委員をもつて構成する委員会は資料を労管に提出する前に軍の承認を受けることを決定し、大倉は、日本人労務担当者和田某を介して、軍のカブ大尉の承認済のサインを得、これを人事部モリ労務連絡士官に提出して同様サインを得ようとしたところ、大倉がカブ大尉の承認を得た経緯について同労務連絡士官に釈然としない点があつたため資料は同士官の保管するところとなつたこと、その後約三ヵ月を経て資料が返還され、大倉はこれを労管に提出したが、賃金調整の目的を達しなかつたこと、この間労管前川業務課長は、同労務連絡士官と前後二回現場調査をし、賃金調整の要否について協議したこと及び右の問題について大倉は約十回程同労務連絡士官と交渉していることが認められる。証人奥村延男の証言中右認定に反する部分は措信しない。

(4)  塩崎の事務系職員の賃金調整問題について

乙第二号証の四十、乙第三号証の四並びに証人前川会三及び同塩崎広の証言を綜合すれば、塩崎は、昭和二十八年春ヘッドクオーター支部長当時、自己の属するストック・コントロール・ディヴィジョンの事務系職員の給与が技術系職員の給与に比して概して低いので、この間の調整を要求するため全兵駐の承認を得て事務系職員約二百名に用紙を配布し、それに学歴、経歴、給与額等の記入を求め、これを資料として労管に提出して、賃金調整の要求をしたこと、その結果数名の職員の昇給が行われたことが認められる。乙第二号証の三の記載中右認定に反する部分は措信しない。

(5)  塩崎のIBMセクションにおける勤務交替制変更の問題について

甲第七号証の二、乙第二号証の三十四、乙第三号証の四並びに証人奥村延男、同細田正夫、同前川会三及び同塩崎広の証言を綜合すれば、軍は、昭和二十八年六月頃KQMDストック・コントロール・ディヴィジョン・IBMセクションにおける一時的な作業量の増大を予測し、この処理のため、同職場の従来の三交替制勤務を二交替制勤務に改めようと計画し、先ず前記モリ労務連絡士官から労管に対し右について女子の深夜業について所轄労働基準監督署の許可を得られるよう予め交渉されたい旨の申出があつたこと、一方この計画を聞知したIBMセクションの組合員約八十名は、ヘッドクォーター支部長大倉に対し、右に反対の意向を表明して、軍との交渉方を申し出たので、同人は、組合理事小堀一夫に労務者の賛否の数を調査するよう指示すると共に、全兵駐に対し、勤務交替制変更に反対する組合員がある旨を報告したこと、そこで全兵駐は、労管に対し職場では反対しているから、組合、労管及び軍の三者で協議されたい旨を申し出たので、同月十六日全兵駐委員長坂口及び専従員魚島、労管業務課長前川並びにモリ労務連絡士官が会談したこと、その際前川課長の発議により職場組合代表者として塩崎の意見を聴取することになり、同人の出頭を求めたが、賛否の正確な数が判明しなかつたので、結局同人及び軍人事部奥村延男の両名は、IBMセクションにおいて、責任将校マーシャル准尉立会の上全従業員の集合を求めて、勤務交替制変更計画の趣旨を説明して、挙手の方法により賛否を問うたところ、賛成の方が多かつたこと、しかし前記労働基準監督署の女子の深夜業の許可が得られないでいるうちに、軍において当初予定した程の作業量の増大を見ず従つて勤務交替制変更の必要がなくなつたため、計画は実行されずに終つたこと及び右交渉の経過において、モリ労務連絡士官は、塩崎が組合支部長なることを認識し、またマーシャル准尉は、塩崎を面識したことが認められる。乙第二号証の三十九及び第五号証の四の記載中右認定に反する部分は措信しない。

(6)  塩崎の北九州水害見舞金カンパについて

乙第二号証の十五、二十四、三十四及び三十六、乙第三号証の四、乙第五号証の四並びに証人奥村延男及び同塩崎広の証言を綜合すれば、全駐労は、昭和二十八年七月初旬北九州地方水害による罹災組合員の救援カンパを決定し、全兵駐を通じて、ヘッドクォーター支部にもその旨指令を発したことこの指令を受けた塩崎は、支部長として各セクションの執行委員に募金額を記載した募金者名簿の作成を指示したこと、これが軍の察知するところとなり、モリ労務連絡士官は、塩崎を呼び、右カンパの目的、募金についての許可の有無等を尋ねた上、「お前は米軍のため仕事をしているのか。組合のため仕事をしているのか。返答のいかんによつてはやめて貰わなければならない。」と云つたこと、その後全兵駐がキャンプ神戸司令部から右募金の許可を受け、右組合支部においても募金が開始されたことが認められる。

(7)  尼崎地区総決起大会及び全国統一ストライキについて

全駐労は、昭二十八年調達庁に対し、労務基本契約改訂の要求を掲げて闘争に入り、同年八月十二日及び十三日の両日四十八時間全国統一ストライキを敢行したこと、大倉及び塩崎の所属する組合は、尼崎地区の三組合と連合して一闘争単位支部となり、尼崎地区共同闘争委員会を設置し、大倉はその闘争委員長、塩崎はその副闘争委員長となり、尼崎地区組合を指揮してストライキに参加したこと、右トライキに先立つて同月十一日午後五時半頃から数十分間軍基地正門に近い尼崎市民グランドにおいて、組合員及び応援団体約千名の参加を得て総決起大会を開き、大倉及び塩崎がその責任者であつたことは当事者間に争ない。

そして乙第二号証の九、十五及び十六、証人塩崎広の証言により真正に成立したものと認める検乙第一号証並びに証人魚島清一、同上田道衛、同大倉輝夫及び同塩崎広の証言を綜合すれば、右闘争委員会は、同年七月上旬全駐労の指示に基き尼崎地区内五組合支部の執行委員会を切り替えて設置されたもので、その組合員は千五、六百名であること、全駐労の闘争指令によれば、同年八月十二日及び十三日を第一波、同月二十八日及び二十九日を第二波、同年末頃第三波ストを予定し、要求貫徹まで闘争を継続する方針であつたこと、第二波ストは中止されたが、闘争態勢は同年十一月頃まで持続されたこと、右総決起大会は、ストライキに際しての指示事項伝達を目的としたもので、大会においては大倉は闘争委員長として挨拶を述べ、塩崎は組合員の職場から会場への誘導、会場における労働歌詞の配布等を担当し、ストライキにおいては、何れも鉢巻をし、尼崎地区総指揮者または同地区副総指揮者と明記したたすきをかけ、基地の正門と道路を隔てた位置にテント張りの闘争本部を置き、そこを定位置として深更まで戦術会議を開き、或いはまた随時ピケ隊を激励する等の活動をしたこと、基地の正門には衛兵がおり、当日の衛兵司令は塩崎の上司であるマレッキー軍曹であり、同軍曹は塩崎を認めていたこと、基地正門には軍の将兵が出入し、大倉の上司であるチエス准尉も大倉を認めていたこと、基地内からはストの状況を撮影し、また当時の新聞には、総決起大会の模様等が大倉の写真入りで報道されたことが認められる。

(8)  以上認定の行為は何れも正当な組合活動である。

労働組合は、労働者の労働条件の維持改善を目的とし、この目的を達成するため、対使用者との関係において団結し、団体交渉をなし、または争議行為をする権能を有するものであり、前認定の(1)ないし(5)及び(7)の行為は、右団結権強化、団体交渉または争議行為であり、たつ違法または不当なものでないから、労働組合法第七条第一号にいう組合の正当な行為に該当する尤も、(3)の行為の如く団体交渉の目的を達し得なかつた行為があるが、行為の成果の如何は、組合活動またはその正当性の判断に影響を及ぼすものでないことは多言を要するまでもない。また同号にいう組合の行為とは、前記のような対使用者との関係において組合本来の目的達成のためにする行為のみならず、組合が自由なる意思決定に基き、組合員の福利厚生のためにする組合内部の行為をも含むものと解するのが相当であるから、(6)の水害見舞金カンパも、組合の行為に該当する。そして甲第七号証の二並びに証人奥村延男及び同塩崎広の証言を綜合すれば、労務者が軍基地内で募金を行うには、予め軍の許可を要する定があるのにかかわらず、塩崎は許可を受けないで、前記のとおり募金者名簿を作成したことが認められるから、右の行為は、その限度で一応不当な行為という外はないのであるが、その後募金について軍の許可を受けたこと前認定のとおりであるから、これを全体として観察するときは、正当性を失わないものと解するのが相当である。

二、前記ストライキ以後の軍の大倉及び塩崎に対する処遇の状況

(1)  大倉の場合

乙第二号証の四、六、十八及び二十七、乙第五号証の五及び証人大倉輝夫の証言を綜合すれば、尼崎サーベランス支部は、予てから労管に対し、大工と荷扱夫の賃金査定の件について意見を提出しておいたところ、賃金査定の最終日である昭和二十八年八月二十日労管の係官が同支部副支部長である大倉に対し、電話をもつて賃金査定額を内示し、これに対する意見を求めて来たので、同人は、数分間意見を述べたところ、前記チエス准尉は、大倉に対し、「賃金の件は人事課の職員が担当しているのであるから、組合が勤務時間中にそのような活動をしてはならない。」と叱責したこと、サーベランスにおける荷扱夫は、職名は荷扱夫であつても、作業の内容は区々であり、事務的または技術的な作業に従事する者或いは純粋に荷扱作業に従事する者等一律でなかつたのであり大倉は、同年五月一日サーベランスに転勤以来英語の理解力を重視され、部品の名称の確認及び記録等の作業に従事していたのであるが、同年九月タイプライターの備付により、同人の記録作業の必要がなくなつたため、永井ホアマンは、大倉に品名の検査、添付等の作業を命じていたこと、その頃同人が作業の都合上女子包装工に包装を命じたところ、これを目撃したチエス准尉は、憤然として、「お前は時間中に組合活動をしてはいけない。」と叱責し、その後間もなく同准尉は、永井ホアマンに「大倉は荷扱夫であるから軽い仕事や他と関連の多い仕事をさせてはならない。重労働に就かせよ。」と命じ、その後空箱毀し、釘抜き、材木の運搬等の雑役に従事させ、その頃から兵隊二名が同人の作業を監視しているような状況となり、ホアマンを通さずに、兵が直接大倉の作業の変更を命じ、時に一日数回にも亘つて作業の変更が命じられたこと、永井ホアマンはこのような軍の処遇を憂慮し、大倉の配転の措置などを考慮しているうち、本件解雇に至つたこと、また同年六月頃から同人は、休憩時間を利用して組合報告をすることを通例としていたが、ストライキ後はそれ以前と異なり、軍の兵が数名右の報告を傍聴するようになつたことが認められる。甲第七号証の一の記載及び証人奥村延男の証言をもつても右認定を覆えすに足らず、その他右認定に反する証拠はない。

(2)  塩崎の場合

同人が昭和二十七年十一月一日以来ストックコントロールデヴィジョンIアンドAセクションのオフイスマネージャーとしてその職務を担当していたことは当事者間に争なく、乙第二号証の十四及び二十三、乙第三号証の四並びに証人塩崎広の証言を綜合すれば、オフイスマネージャーは、職場の長から作業の指示を受け、それを各労務者に割当てる職務を担当していること、昭和二十八年九月マーシャル准尉がIアンドAセクションの責任将校として着任して間もなく、同准尉は、部下の兵に対し、爾後玉木信一にオフイスマネージャーの職務を行わせると指示し、その後塩崎は、オフイスマネージャーの職を保有しながら、実際は玉木がその職務をとり塩崎は平事務員の職しか与えられなかつたこと、同人が同年十月十日朝妹の結婚式に出席のため、マーシャル准尉に早退を申し出たところ、同准尉が早退は前日に申し出なければ、許可しない旨述べこれを拒絶したこと、当時軍の慣行としては当日早退を申し出て通常許可されていたもので、当日も女子職員二名が塩崎より後に早退を申し出て許可されたことが認められる。証人奥村延男の証言中、右認定に反する部分は措信しない。

(3)  右認定の事実によれば、軍関係者は、予てから大倉及び塩崎両名の組合活動を注視していたところ、昭和二十八年八月のストライキを契機として同人等の組合活動を嫌悪し、これに報いるに不利益な差別待遇をもつてするに至つたものと推認するのが相当である。

原告代理人は、勤務時間中は何人であつても、組合活動は許されないのであるから、大倉が労管よりの電話に応答したことについてチエス准尉が注意を与えたことは当然のことであり、また同人は荷扱夫であるから、重労働に従事させられたことも当然であると主張する。

しかし、組合役員が雇主である労管との接渉事項に関し、労管よりの電話に応答する如きことは、それが度重なり又は長時間に亘るとか、特に作業に著しい支障を及ぼすものでない限り、たとい勤務時間中であつても一回数分位であるときは正常な労働慣行として容認されるべきであつて、単に一回の行動を捉えて叱責することは不当といわざるを得ないし、またストライキ直後のことであり、組合と軍ないし労管との対立状態の中でなされた事情を併せ考えれば、右は軍の組合活動に対する嫌悪感を露呈したものと認めざるを得ない。

次に大倉が最後に従事した空箱毀し等の作業は、観念的には荷扱夫本来の作業であるといい得ても、従前の作業について非難さるべき点その他作業替を命ずるについて首肯せしめるに足る特段の事情がないのにかかわらず、前認定の如き経緯によつて作業の変更がなされるのであるから、同人に対する不利益な差別待遇と認めざるを得ない。よつて、原告の右主張は採用しない。

更に原告代理人は、玉木信一は塩崎より人物優秀にして語学堪能であつたため、マーシャル准射が塩崎より玉木を重用したのは当然であり、また昭和二十八年十月十日は土曜日であつて、塩崎の職場は多忙であつたため、早退を許可されなかつたことはやむを得ないことであると主張する。そして甲第五及び第六号証の記載並びに証人奥村延男の証言(前記措信しない部分を除く。)によれば、塩崎より玉木の方が語学力が勝れていることを認めることができるけれども、前認定のとおり塩崎のオフイスマネージャーとしての職を正式に解任したわけではないのであるから、塩崎の事務処理能力の不足または事務の繁忙等の理由の認められない限り殊更に塩崎の従前の事務を取り上げて玉木に代えたのは嫌がらせ的措置といわれてもやむを得ないであろう。また証人奥村延男の証言(前記措信しない部分を除く。)によれば、塩崎の職場においては土曜日が一般に多忙であることが認められるが、証人塩崎広の証言によれば、右十月十日は比較的業務が閑散であつたことを認めることができるのであるから、前認定のような状況によつてなされた早退不許可は、他の者と比較し塩崎に対する不利益な差別待遇と認めざるを得ない。よつて原告の右主張は採用しない。

三、原告主張の解雇理由

原告は、本件解雇の理由として、大倉及び塩崎両名を日米安全保障条約に基き駐留するアメリカ合衆国軍隊の基地において引続き就労せしめることは、同軍隊にとつて危険であり、かつ脅威となると主張する。

しかし、甲第三号証、第四号証の三及び四、第八号証の二ならびに証人木下芳美の証言を綜合すれば、右両名に対する解雇が、昭和二十八年十月二十三日なされた駐留軍保安解雇審査委員会の審議の結果に基き、極東米陸軍司令部により保安上の理由によるものとしてなされたことが認められるが、右のような機関の審議決定に基く解雇であるという一事によつては、当然には保安上の理由に該当する具体的事実の存在を推認し得ないし、その他右の解雇理由に該当する具体的事実を認めるに足りる証拠はない。

四、本件解雇は、不当労働行為である。

不当労働行為の成立には、正当な組合活動の故をもつて解雇されたこと、すなわち解雇が反組合的意思をもつてなされたことを必要とする。換言すれば、組合活動のみが解雇の理由である場合は勿論、組合活動の外に解雇理由が競合する場合においても、組合活動がなかつたならば、他の解雇理由の存在にもかかわらず、解雇がなされなかつたという意味において、解雇と反組合的意思との間に因果関係が存在すれば、不当労働行為は成立すると解すべきである。そして、使用者は、組合活動以外の解雇理由を掲げるのが一般であるが、このような場合においても、被解雇者の活発な組合活動と使用者がこれを嫌悪する差別待遇意思が立証され、他面使用者の主張する解雇理由が根拠のないものであるか、または社会通念上解雇に価することを首肯せしめるに足る程度に合理性のないものであるならば、その解雇は使用者の主張する解雇理由の故になされたものでなく組合活動の故になされたもの即ち使用者の不当労働行為を推認するのが相当である。

本件について見れば、以上認定のとおり、大倉及び塩崎の活発な組合活動とこれに接着して軍の同人等に対する不利益な差別待遇の意思が露骨に表明され、間もなく解雇されるに至つたという事実と原告主張の解雇の理由が架空のものであると認めざるを得ないという事情に想を致すとき、本件解雇は、同人等の組合活動を理由になされたものと推認せざるを得ないのである。甲第四号証の三及び甲第八号証の二は、解雇当事者たる軍の一方的に作成した文書であるから、同号証中右認定に反する部分は措信し得ないし、また証人木下芳美の証言中右認定に反する部分は、同証人がその意見を表明したものにすぎないから右認定を覆えすに足らず、その他右認定に反する証拠はない。

原告は、保安解雇は軍の保安委員会において決定されるのであるが、同委員会に提出される資料は保安上のものに限られ、組合活動に関する資料は提出されないから、解雇の決定について組合活動が考慮される余地はないと主張する。しかし、甲第四号証の三及び甲第八号証の二中右主張に添う記載部分の措信し得ないこと前記のとおりであり、その他右主張事実を認めるに足りる証拠はなく、却つて、乙第五号証の二の記載によれば本件解雇を決定した極東米陸軍司令部は、大倉及び塩崎両名が活発な組合活動をしていた事実を知悉していたことが認められるから、特段の事情のない限り、本件解雇を決定する資料として同人等の組合活動に関する資料も斟酌されたものと認めるのが相当であるから、右主張は採用しない。

原告は、大倉及び塩崎が昭和二十八年八月十三日のストライキ直後解雇されなかつたこと及び両名と同様活発な組合活動を行つた上田道衛が解雇されない事実は、本件解雇が組合活動を理由とするものでないことを例証すると主張する。しかし、大倉及び塩崎がストライキ直後解雇されなかつたこと及び両名と同様活発な組合活動を行つた上田道衛が現に解雇されないことは被告の認めるところであるが、この一事をもつては、未だ本件解雇が組合活動を理由とするものでないことを推認し得ないから、右主張は採用しない。

原告は、かりに保安上の理由に該当する具体的事実が存在しないとしても、大倉及び塩崎が共産党員またはその同調者であると疑うに足りる相当な理由があるから、軍は、同人等が保安上の理由に該当すると誤信して解雇をなしたものであり、その組合活動は解雇の理由ではないと主張する。ところで、前記昭和二十八年八月十一日の尼崎地区総決起大会において、先に保安上の理由で解雇された元駐留軍労務者玉村某外一名の共産党員が数分間マイクを占領して反米演説をしたこと、当時全兵駐はスト実施については極力共産党の介入排除に努めるよう指令していたこと、また大倉は駐留軍に雇用される際軍に提出した身上明細書に学歴、職歴等を詐称していたこと並びに当時尼崎市に塩崎博という有力な共産党員がおり、日本共産党尼崎市委員会の責任者として活発な活動をしていたことは、当事者間に争ない。しかし、証人上田道衛、同塩崎広及び同大倉輝夫の証言を綜合すれば、総決起大会には、前記のとおり約千名の者が参集し、極左分子の潜入を防止することは不可能の状況にあり玉村某外一名の演説は、大倉等の制止を振り切つて僅か数分間行われたもので、その内容は軍に脅威を感ぜしめる程しかく激烈かつ明瞭なものでなかつたものと認められるし、また、大倉の如く就職に際して学歴または職歴を詐称したことをもつて、共産党員またはその同調者たることを推認しうる資料とはなし難いところであり、かつ、甲第四号証の四、乙第五号証の二及び証人木下芳美の証言を綜合すれば、調達庁渉外労務監督官が本件解雇後極東米陸軍司令部労務担当将校に対し、塩崎広が右塩崎博と同一人物と誤られて解雇されたのならば、事実を調査の上解雇を取り消されたい旨申し入れたのに対し、軍はこれを了承したのであるが、再調査の結果塩崎広が塩崎博と別人であることを認めながら、本件解雇を維持していることが認められる。以上認定の事実に徴すれば、前記当事者間に争ない事実のみによつては、大倉及び塩崎両名が共産党員またはその同調者であると疑うに足りる相当の理由があるものとはなし難く、却つて軍は、同人等が共産党員であると否とにかかわらず、本件解雇を維持する意図であることが察知されるから、右主張は採用しない。

ところで、駐留軍労務者は、行政協定第十二条第四号及び米国政府と日本政府との間に締結された労務基本契約に基き、国に雇用され、日米安全保障条約によりわが国に駐留する米軍に対し労務を提供するものであり、その法律上の雇用主は国で、実際上の使用主は米軍であるが、その者を引続き雇用することが米国政府の利益に反する場合、すなわち保安上の理由ありとされる場合、これを解雇する権限は、国より軍に委任されていることは、弁論の全趣旨により認められるところである。そして、このように解雇の権限の委任があり、受任者がその権限に基き解雇する場合、不当労働行為成立の要件としての反組合的意思の存否は、受任者について確定すべきところ、行政協定第十二条第五号の規定によれば、軍は、駐留軍労務者の保護のための条件並びにその権利については、わが国の法令の規定によらなければならないのであるから、軍の解雇が前認定の如く正当な組合活動を理由とするものである場合は、その行為は、労働組合法第七条第一号の規定の適用を受け、民事上不当労働行為の成立を免れない。

五、結論

叙上のとおり、本件解雇は不当労働行為であるから、かかる判断の下に兵庫県地方労働委員会が昭和二十九年十一月二十二日附をもつて発した前記救済命令は適法であり、従つてこれに対する兵庫県知事の再審査の申立を理由のないものとして棄却した本件再審査申立棄却命令には、原告主張のような違法があるとは認められない。

よつて、原告の請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 岩村弘雄 好美清光)

(別紙)

命令書

再審査申立人 兵庫県知事

再審査被申立人 全駐留軍労働組合兵庫地区本部

再審査被申立人 塩崎広

再審査被申立人 大倉輝夫

右当事者間の中労委昭和二十九年(不再)第四十三号不当労働行為事件について、当委員会は昭和三十年六月二十九日第二百三十三回公益委員会議において、会長公益委員中山伊知郎、公益委員細川潤一郎、同藤林敬三、同吾妻光俊、同中島徹三、同小林直人出席し合議の上次のとおり命令する。

主文

本件再審査申立を棄却する。

理由

認定した事実及び法律上の判断

(再審査申立人)

一、再審査申立人兵庫県知事は、調達庁設置法第九条及び第十条、昭和二十九年政令第一二四号、地方自治法第一四八条及び同条別表第三の一の(三の二)の規定に基いて、兵庫県内における駐留軍の労務に従事する者の雇入、提供、解雇及び労務管理に関する国の事務を国から委任されて執行するものである。

(再審査被申立人)

二、再審査被申立人塩崎広、同大倉輝夫(以下単にそれぞれ塩崎広、大倉輝夫という)は、再審査申立人兵庫県知事により雇入れられた所謂駐留軍間接雇用労務者であり、いずれも再審査被申立人全駐留軍労働組合兵庫地区本部(以下単に地区本部という)の組合員である。

塩崎広は昭和二十五年四月からM・H・E・ストック・コントロール・デイヴイジョン(後にK・Q・M・Dストック・コントロール・デイヴイジョンとなつた)に勤務し、昭和二十七年十一月以降はI&Aセクションの職場の事務管理人である。

大倉輝夫は、昭和二十五年三月からK・Q・M・D倉庫部隊に勤務し、昭和二十八年五月から尼崎エリヤナイン・サーベランス部隊に転勤した。職種は昭和二十五年十月以降荷扱夫である。

(塩崎、大倉両名の組合活動)

三、塩崎は、昭和二十七年十二月地区本部の組合員となり、職場における組織拡大に努めた結果、当初数人に過ぎなかつた事務系職員の組合員は昭和二十八年一月には六十余名に達し、新たにヘッド・クォーター支部を結成した際その支部長に選任され、同時に地区本部執行委員にも選任された。同人はその後も組織活動を続けたので本件解雇当時同支部組合員は百七十余名を算えるに至つた。その間、事務系職員の賃金調整、I・B・M・セクションにおける勤務交替制変更問題、北九州水害見舞金カンパ等にも同人の活躍が認められる。

大倉は、昭和二十六年一月地区本部の組合員となり、同年十一月第一突提支部書記長、同二十七年三月同支部長、同年六月地区本部執行委員並びに書記局教育文化部長、同年九月より本件解雇に至るまで地区本部副執行委員長等を歴任し、同二十八年六月以降は尼崎2&4支部副支部長を兼任した。その間第一突提支部における賃金調整、尼崎2&4支部における活発な組織活動(転勤当時の組合員約六〇名を同年八月頃には約百八十名に増加した)等にも同人の活躍が認められる。昭和二十八年八月全駐留軍労働組合は、労務基本契約改訂をめぐつて全国統一ストライキを実施したが、その際大倉は尼崎地区闘争委員長、塩崎は同副闘争委員長に選任され、八月十一日には尼崎市市民グラウンドで尼崎地区総決起大会を主催し、翌十二、十三日にわたつて同地区のストライキを指導した。

右の如く、両名は、尼崎地区における駐留軍労務者の組合活動の中心的人物であつたことが認められる。

(塩崎、大倉両名の解雇と不当労働行為)

四、昭和二十八年十一月十日塩崎、大倉両名は、K・Q・M・D労務士官モリから突然保安上の理由をもつて解雇を申渡された。再審査申立人は、右両名の保安解雇の理由は、労務基本契約附属協定第六十九号「労務基本契約第七条に基く保安協定」第一条総則a(3)の基準(軍の保安に有害な活動に従事する者又は軍の保安に直接的に有害であると認められる政策をもつ団体、若しくは会の構成員と軍側の保安上の利益に反して行動をなすとの結論を正当ならしめる程度まで常習的にあるいは密接に連繋すること)該当であると主張する。

これに反し、極東米陸軍司令部は文意明瞭を欠くが、共産党員であることを以て理由とするように認められる。

これを検討するに、両名が、共産党員でないことについては当事者間に争がない。また両名が共産党の同調者であるとの疏明もない。そこで、本件審査において両名と共産党の活動と関連のある事実としては、前記八月十一日の総決起大会における次の出来事以外に存しない。

即ち尼崎地区闘争委員会は、昭和二十八年八月十一日午後五時半頃から四、五十分間にわたり、尼崎市市民グラウンドで尼崎地区総決起大会を開いた。その会場は軍基地の正門附近で、組合員ほか、共同闘争の他の組合の組合員も参加して約千名が集合した。この大会において、来賓の社会党代議士山下某ほか数名の祝辞が終つた頃、突然、元駐留軍労務者で昭和二十七年に保安解雇された玉村某ほか数名のものが現れ、祝辞を述べたいと申入れた。両名らは、これらの者を招請したことがないので拒絶したが、玉村某及び他の一名は制止をきかず、相次いで演壇のあつたトラックの上に飛び乗り、数分間にわたつて、マイクを占領し、右大会の進行を妨害した。数分後大会は正常に復した。

右大会及びこれに続くストライキを境として両名に対する軍の処遇は一変した。塩崎は、事務管理人であるが、昭和二十八年九月頃同人の部下玉木某と交替を命ぜられ一事務員となり、また十月十日頃妹の結婚式に参列のため早退の許可を責任将校に求めたが従来の慣行に反して許可が与えられなかつた。大倉は同年八月二十日甲子園渉外労務管理事務所係員の電話(大工と荷造の二職種間の基本給査定の問題について組合の意見を問合せた電話)にかかつてさえ責任将校から難詰され、また九月頃女子包装工と仕事上の連絡をしたところ、同将校から組合の連絡をしていたのではないかと叱責され、その直後従来の事務的作業(荷の番号を附す仕事等)から重作業(空箱こわし、釘抜き等)の仕事へ移ることを命ぜられた。かくして両名は、同年十一月十日同時に保安解雇されるに至つたものである。以上の事実から判断すれば、前記総決起大会における不慮の出来事、即ち、極左分子の演壇占拠が米軍当局者を刺戟し、それが原因となつて、両名の保安解雇が行われたと推認するほかないのであるが、これだけの事実を以て、両名を保安協定第一条総則a(3)の基準に該当せしめるのは合理性を欠くのみならず、爾余の両名の行動においても正当な組合活動の範囲を逸脱したものを認めることはできない。結局、本件解雇は、軍が両名の正当な組合活動を不当に極左分子の活動と結びつけて評価し、不利益取扱をしたものと認められるのであつて、労組法第七条第一号に違反するものと謂わなければならない。

(再審査申立人の当事者適格について)

五、なお、再審査申立人は本件不当労働行為審査について当事者適格がないと主張する。しかしながら所謂駐留軍間接雇用労務者に係るこの種事件に関して各都道府県知事が当然に当事者たる適格を有することは、既に当委員会が、中労委昭和二十九年(不再)第四号事件、同昭和二十九年(不再)第十六号事件等について判断したとおり、再審査申立人の主張は容認し難い。

六、以上のとおりであつて、再審査申立人の主張するところはいずれも容認し難く、塩崎、大倉両名の本件解雇は不当労働行為であると認められるので、初審命令は結査において相当である。よつて、労組法第七条、同第二十五条同第三十七条中労委規則第五十五条により、主文のとおり命令する。

昭和三十年六月二十九日

中央労働委員会 会長 中山伊知郎

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